九州の旅

福岡県

太宰府天満宮(太宰府市)
903(延喜3)年2月25日、この地で亡くなった菅原道真公の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」、「至誠の神」として崇敬を集める。本殿右側(写真右奥)にある御神木「飛梅」には、有名な飛梅伝説が残る。
佐賀県

吉野ヶ里歴史公園(神埼郡三田川町)
吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の環壕集落では、全国でも最大規模を誇る遺跡で、弥生時代の「ムラ」から「クニ」への発展がいつの遺跡でわかる極めて学術的価値の高い遺跡。今ではこの遺跡を保存・活用するために歴史公園として整備されている。
長崎県

めがね橋(長崎市)
1634年(寛永11)興福寺の唐僧黙如によって、架設された日本最古のアーチ型石橋。長さ22m、幅 3.65m、川面までの高さ 5.46m。川面に映った影が双円を描くところから「めがね橋」の名が出た。 1982(昭和57)7月23日の長崎大水害により「めがね橋」ほか2橋が1部崩壊。1983年(昭和58年)10月復元した。
国指定重要文化財。

シーボルト記念館(長崎市)
日本近代医学の父・シーボルトのすべてを一同に集めた資料館で平成元年にオープンしました。建物の外観はオランダにあるシーボルト旧邸をイメージした赤煉瓦洋館づくり(3階建て)です。

花月(長崎市)
江戸の吉原、京の島原と並ぶ、日本三大花街だった長崎の丸山。1642年幕府によって遊女屋を丸山一帯に集めたのが始まりと言われている。
その丸山の一角にある花月は、創業1642年。もとは引田屋といい、その庭園にあった亭(チン)を花月楼といっていたが、大方清雅により崎陽随一の酒楼と喧伝されるに及び、ついにはこの名を採って店名とした。当時はオランダ人や唐人達の丸山見物の際には、花月に必ず立ち寄ったと言われる。シーボルトと其扇(そのぎ)の関係は有名。大広間(龍の間)に残る刀痕は、松本良順と遊びに来た坂本龍馬が残したものと言われている。

中の茶屋(長崎市)
丸山(寄合町)の遊女屋「中の筑後屋」が、江戸時代中期に茶屋を設けていたところで、当時長崎に居た唐人が千歳窩(せんざいわ)と名付け、この名に因んで別名を「千代の宿」とも呼ばれた。
中の茶屋は、花月楼とともに丸山最好の茶屋として、長崎ばかりでなく他郷の人々にも知られ、内外の文人墨客が好んで遊び親しみ、長崎奉行の市中巡検の際にはその休憩所にあてられることもありました。
幕末期にできた俚謡「長崎ぶらぶら節」には、「遊びにいくなら 花月か中の茶屋 梅園裏門たたいて 丸山ぶうらぶら ぶらりぶらりと いうたもんだいちゅう」と読み込まれています。 江戸時代中期に築かれた庭園として、市内寺院のものを除けば、数少ない遺跡の一つであり、昭和51年7月20日に市指定史跡に指定された。
  
マリア園(長崎市)
1897(明治30)年に設立された。3階建ての赤煉瓦洋館で、正式にはイエズス修道会清心修道院という。

ドンドン坂(長崎市)
マリア園に登る坂道で、長崎らしい石畳の急坂。古い石畳の両脇にはV字型の溝があり、雨が降ると流れが”ドンドン”と急になるので、そう呼ばれるようになった。

孔子廟(長崎市)
1893(明治26)年、中国人自らが初めて海外に建てた廟で、華南と華北の建築様式が合体した建物。壁面に刻まれた論語の全文や廟内に立つ七十二賢人像など石製のものはすべて中国から取り寄せたもの。珍しい中国語のおみくじがある。

諏訪神社(長崎市)
長崎市民から「おすわさん」として親しまれる氏神様。1625(寛永2)年創建。当時はキリスト教が広まり、他郷を排斥したため、市内の社寺は破壊されることが多く、肥前唐津の青木賢清が長崎奉行・長谷川権六に願い出て造営したもの。そして、1632(寛永9)年青木が初代宮司になり、1634(寛永11)年から祭礼(おくんち)を行うようになった。現在の社殿は焼失し、1867(明治元)年に復旧されたもの。

おくんち(長崎市)
毎年10月7日から9日にかけて催される長崎の秋の大祭。国指定重要無形民俗文化財。「長崎くんち」は長崎市民の氏神、鎮西大社諏訪神社の祭礼行事で、1634(寛永11)年に、丸山町、寄合町両町のふたりの遊女が神前に謡曲「小舞」を奉納したのがその始まりといわれる。以来、370年もの歴史を誇る。踊りを奉納するのは、氏子の町民で、江戸時代に長崎の市街地にあった77ヶ町を7分割し、1ヶ町が7年に一度踊りを奉納することになっている。その当番町を"踊町"と称していたが、その後町の再編成などで町名や町数は変わってしまった。「おくんち」の名前は「御九日」に由来し、本来は九月九日重陽の節句の意味らしい。
  
グラバー園(長崎市)
3万m2の敷地内に明治時代、外国人居留地にあった旧グラバー邸、旧リンガー邸、旧オルト邸(以上重要文化財)など9棟の洋館が移築・整備されている。なかでも1863(ぶんきゅう)年に建てられた旧グラバー邸は現存する日本最古の木造洋館で、上から見ると四葉のクローバー型の屋根が特徴的。スコットランド出身の貿易商グラバーの接客用サロンだった。夏の間だけ夜間公開しており、ここからみる長崎の夜景も素晴らしい。

風頭公園(長崎市)
公園は長崎港を見下ろす風頭山にあり、夜景で有名な稲佐山(写真中央)とは駅をはさんで反対側に位置する。近くには亀山社中や、上野彦馬の墓などがあり、公園内には港を見下ろす龍馬像や凧(ハタ)資料館などがある。中でも展望台からの夜景は長崎市内で一番気に入っている。

夕景

風頭公園・坂本龍馬の像(長崎市)
長崎市の東側・風頭山の山上にある公園。その中に坂本龍馬の銅像が立つ。龍馬が作った日本で最初の貿易商社・亀山社中からも歩いて登ることができる。凧あげでも有名で、近くに凧の記念館もある。夜景の美しいスポットでもある。

龍馬のぶーつ(長崎市)
日本最初の商社「亀山社中」が創設されて130周年を記念し、建立された。これは、亀山社中の創設がわが国近代化の第1歩になったことから、龍馬のトレードマークである”ぶーつ”を像にした。亀山社中の裏にある高台に建ち、ぶーつを履いて龍馬の気分で長崎の市街を見下ろしてみるのもいいのではないでしょうか。私は履きませんでしたけど(笑)。次回こそは履いてみようと想います。

雲仙岳・平成新山(小浜町)
1990年に雲仙岳の最高峰・普賢岳(1359m)から噴火した。その火砕流は、山下の島原市や深江町に甚大な被害を及ぼし、1階部分を完全に埋め尽くされた家や廃墟の跡が見られた。その後、噴火によって隆起した山・平成新山は普賢岳よりも高くなり、1486mの高さになった。山頂部には溶岩ドームが見られる。

たびら平戸口駅(田平町)
以前は日本最西端の鉄道駅を誇ったが、沖縄にモノレールができた今は、最西端とは言えなくなった。現在の最西端はゆいレールの那覇空港駅。以前は国鉄の松浦線だったが、今は第3セクター松浦鉄道となっている。

軍艦島(高島町)
正式名は端島(ハシマ)。その昔、「黒いダイヤ」とも呼ばれた石炭が産出。その為、大勢の炭鉱労働者が島に住んでいた。元々、敷地の狭い小島は島には似合わない高層ビルが建ち並び、その姿は海上に浮かぶ軍艦のように見える為、この名が付いた。その後、炭鉱は閉山。島は私有地のため、今は立ち入りを禁じられている。
大分県

血の池地獄(別府市)
噴気まで赤い、万葉集に赤池として記された日本最古の天然地獄。すぐ横では地獄から湧き出る薬効成分で作った皮膚病に効く”血の池軟膏”が売られている。

龍神地獄(別府市)
天然記念物指定の間欠泉
温         度       摂氏 78 度  華氏 176 度
池 面 積     約 1300 平方米
湯口面積            約    700  平方米
湧 出 量     一昼夜約    1800 粁立
深    さ           実 測     30   米
            推  測    180   米
含 有 物     酸化鉄 ・ 酸化マグネシュウム・
            珪   素  ・ 酸化カルシュウム

金燐湖(湯布院町)
明治17年、鶴崎の儒者毛利空桑がこの地に遊び、魚の鱗が夕日に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けた。
 西半分に温泉が湧き、東半分に清水が湧くという不思議な湖で、それに付近の温泉や天祖神の神水まで流れ込むので、温冷半々の美しい池となっている。

関崎(佐賀関町)
豊予海峡に突き出した半島の先端部にあたる。明治34年に大分県最古の灯台が完成。目の前の海では潮流が早く、ここで捕れたアジやサバは関アジ、関サバと呼ばれ、ブランド品になっている。関崎から眺める豊予海峡の景色はせとうち風景30選に選ばれている。

白池地獄(別府市)
噴出した時は無色透明な熱湯だが、池に落ちると青みを帯びた白色に変化する不思議な温泉。これは温度と圧力の低下によって変色したもので、温泉成分に含まれるケイ酸がコロイド状になっているためで、池の底には結晶状態でその成分が沈殿しているらしい。園内には温泉熱を利用して熱帯魚が飼育されている熱帯魚館が併設されている。

金龍地獄(別府市)
立ち上がる噴気が朝日に照らされ、天に昇る黄金の龍に見えることからこの名が付いた。一昼夜で900tの温泉が湧出し、別府一の量を誇る。その温泉は、市内11ヶ所の共同温泉に供給されている。園内には温泉熱を利用したバナナ温室がある。

鬼山地獄(別府市)
別名ワニ地獄。園内にはクロコダイル、アリゲーターなど4種類150頭ものわにを飼育。大正12年に日本で初めて温泉熱を利用してワニを飼育したのが始まり。世界一の長寿記録(71歳)を達成した初代イチロウは現在も剥製で見物できる。

かまど地獄(別府市)
名前の由来は八幡宮の大祭の時に、地獄の噴気で御供飯を炊く習わしがあった為。1丁目から6丁目まであり、特に5丁目の地獄は年に数回蒼や緑に突然変化する。3丁目の地獄は別に浴室があり、入浴できる。

山地獄(別府市)
山の至る所から噴気が上がっている。温泉熱を利用し、約20種の動物達が飼育されている。カバやサル、フラミンゴ、アフリカゾウなど。

海地獄(別府市)
約1200年前の鶴見岳の爆発によってできた広大な池で、コバルトブルーの色をした美しい神秘的な雰囲気をさせる。この色は温泉成分に硫酸鉄が含まれるため。泉温は98度あり、湯気が絶えない。園内では温泉熱を利用し、アマゾン地方原産のオオオニバスや熱帯性睡蓮が栽培されている。売店ではこの湯で蒸焼きにした温泉プリンや温泉卵が販売されている。美味。

鬼石坊主地獄(別府市)
灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ていることから、この名が付く。2002年12月に約40年ぶりに再公開された。敷地内には鬼の高いびきと呼ばれる間歇泉がある。また、足湯も設置されており、すぐ横には日帰り温泉施設「鬼石の湯」もある。

ぼけ封じ 愛の観音堂(別府市)
手を広げた観音様の前には札束を数えているお地蔵様。更にめがねをかけて本を読むお地蔵様まで鎮座しております。何とも不思議な観音堂です。

九重・三俣山(久重町)
標高1745m。実は5つの峰から成る。九重山は東西15kmにわたって分布する20以上の火山の集合をいい、三俣山もその一つ。ちなみに九重山・中岳は九州本土の最高峰(1791m)。

由布岳(湯布院町)
標高1584m。通称、豊後富士とも呼ばれ、古くから神の山と崇められ「豊後風土記」や「万葉集」にも登場する名峰。双耳峰になっており、その個性的な山容はどこから見てもそれとわかる。

竹楽(竹田市)
2000年から始まったイベントで、約2万本の竹灯籠が城下町を照らし出すお祭りで、商店街の通りや石段、街角に竹灯籠が置かれ、秋の夜をライトアップしてくれる。竹田は岡藩7万石の城下町で、古来よりマタケ、ハチク、そして中国から350年前に導入されたモウソウチクなどの竹林が市内あちこちに見られる。

温泉まつり(別府市)
毎年4月の初めに開催され、別府市内一円にて多種多様なイベントが行われる。写真は駅前会場の特設ステージ。最終日には御輿も登場する。他には期間中市営の共同浴場(一部)が無料になったり、扇山の火祭りが行われる。

志高湖(別府市)
標高約600m、周囲2kmの鶴見岳に近い湖。別府市街から近く、春は桜、秋はコスモスなど、花見見物やピクニックに適した場所。

千辛万苦(別府市)
元萩(長州)藩士で、のちの外務卿・井上馨(カオル)[別名・聞多(モンタ)]は、盟友・高杉晋作、伊藤博文とともに攘夷派として活躍。1864(元和元)年に第一次長州征討の際に努力温存を訴え、反対派に襲撃された。翌年別府の旅館「若松屋」保護のもと、離れで療養生活を送ったという。後年、別府を再訪した際、当時を振り返った井上は「千辛万苦(センジンバンク)の場」という書を寄贈。潜伏の間に掲げられた。建物は1982(昭和57)年に現在地に復元移築された。

七ツ石稲荷神社(別府市)
七ツ石は1600(慶長5)年9月の大友義統(豊臣方)と黒田如水(徳川方)によって7回に亘って戦われた石垣原合戦の時の戦場となった地。今は稲荷神社が鎮座し、家内安全、諸願成就、諸行安全の願いが叶うよう崇められている。

別府公園(別府市)
戦火を逃れた別府は、戦後にこの敷地がアメリカ軍のキャンプ地となり、昭和32年に自衛隊別府駐屯地へ引き継がれ、その後同駐屯地の移転に伴い、昭和51年に別府市に返還。昭和52年に昭和天皇御在位50周年記念公園として指定を受け、別府市のシンボル公園として整備された。桜を初めとした木々の美しい公園。
 
別府市中央公民館(別府市)
1924(大正13)年の別府市制施行を記念して建設され、昭和3年3月完成の旧別府市公会堂(右写真:市内で見つけた)。県下屈指の貴重な近代建築のひとつで、現存する最も古い鉄筋コンクリート造の建築物でもある。設計は旧別府市電報電話局も(児童館)も手がけた逓信省の技師・吉田鉄郎氏で、当時彼は逓信建築の中心的存在で、のちにわが国における初期モダニズム(合理主義)建築の傑作とされる東京中央郵便局(1933年)・大阪中央郵便局(1939年)の設計も担当。五連のアーチや円窓、バルコニーなど、装飾というより壁面の構造などで変化を持たせた外観は、近代建築の美を感じさせる。館内はストックホルムの市庁舎がモデルといわれ、ステンドグラスや当時のままの椅子も見られる。1967(昭和42)年から翌年にかけての大改修によって、2階にあった正面玄関とそこへアプローチする石造の円形階段が撤去されたが、現在峻工事の姿に修復する計画もある。
 
鉄輪温泉・湯けむり(左写真)・ライトアップ(右写真)(別府市)
NHKが募集した「21世紀に残したい日本の風景」で別府の湯けむりが2位に選ばれた。この鉄輪温泉は別府でも代表的な湯けむりの温泉街で、特定の週末やイベントの時に夜7時から9時まで湯けむりのライトアップが実施される。青・黄・紫などのライトが湯けむりよって夜の温泉街に映し出され、幻想的な雰囲気を楽しませてくれる。こぼれ話では、赤いライトを使ったとき、火事と間違われたことがあったとか。。。
  
路地裏喫茶「こかげ」(別府市)
別府駅前の駅前高等温泉裏にある国際民宿「こかげ」内に併設される喫茶店。国際民宿と言われるだけに外国人宿泊客も多い。店内には懐かしいアンティークが所狭しと置かれ、壁には大正・昭和初期の別府市内の写真が飾られている。蓄音機はまだまだ現役で懐かしい音を聞かせてくれる。一度、泊まって地下の岩風呂にも入って、そしてゆっくりと懐かしい雰囲気を楽しみたい民宿。
  
別府カトリック教会(別府市)
ゴシック様式のカトリック教会で、1930(昭和25)年建設。フランスのルルドの聖堂をモデルにして造ったといわれ、左右対称形で、窓や出入り口の上に尖頭アーチを用い、鐘塔の4つの鐘が一日3回市民に時を告げている。内部は玄関から祭壇まで赤い絨毯が敷きつめられ、正面は十字架のキリストを中心にイタリア大理石の祭壇が設けられ、両側にモザイクタイルで洗礼を受けるキリストや聖ドンボスコの像が描かれている。また、運が良ければパイプオルガンの演奏も聴くことが出来る。

別府火まつり(別府市)
別府市後方に聳える扇山の野焼き。春の温泉まつりのメインイベントともいえ、近くで見れば大迫力。遠くから市街の夜景の上に山の燃える姿は勇壮的。

別府ヒットパレードクラブ(別府市)
竹瓦温泉通りに建つライブハウス。ライブ演奏者は、昭和60年代の衣装で、オールディーズからジャズのスタンダードナンバーまでで、懐かしい雰囲気を漂わせる。天愛にはハリウッドスターのポートレートや洋画ポスターが貼られ、パーティールームにはエリザベステーラーの自筆サインが展示されている。

宇佐神宮(宇佐市)
全国4万余の八幡宮の総本山で、八幡さまは応神天皇の御神霊で、571(欽明天皇の32)年に初めて宇佐の地に御示顕したといわれる。祭神は、一の御殿が八幡大神(応神天皇)、二の御殿が比売大神、三の御殿が神功皇后。神仏習合発祥の地とも言われる。

昭和の町(豊後高田市)
昭和30年代の古い町並みを再生し、中心地の商店街をメインに”昭和の町”というテーマで観光地化したもの。写真の薬局は昭和初期に建築されたもので、改装されたものです。他にも昭和の時代に見られた懐かしい物(三輪自動車や洗濯機、白黒TVなど)が市内各所で見られます。

路地裏散歩(別府市)
地元別府の住民が愛情込めて市内の各所を案内してくれる、普通の観光とは一味違った別府の楽しみ方を歩きながら楽しむウォーキングツアーです。写真はそのうちの夜の路地裏散歩。竹瓦温泉界隈の夜の街を昔懐かしい流しのおじさんと練り歩く。写真は流しのはっちゃん(左、ギター)・ぶんちゃん(右、アコーディオン)[別府では有名なおじさんでTVにも出演したことがある]。

こて絵(別府市)
鏝絵とは、鏝(コテ)を使って家や土蔵の壁などに描かれたレリーフのことで、漆喰の壁面に、鏝を用いて薄肉状の浮き彫りを施し、彩色したもの。左官職人が作り出した庶民芸術。職人の腕の見せ所でもあったのだろう。別府市以外にも安心院町、日ノ出町などで盛ん。
熊本県

熊本・阿蘇山
写真は中岳噴火口。この日は前日に降った雪のおかげで一面の雪景色。火口の水は雨水で、火口の底に火山灰が堆積している為、地中に浸透しない。湯温は50℃で、鉄と銅の作用でエメラルドグリーン色をしている。火口付近にいたおじさんが丁寧に教えてくれた。

阿蘇五岳
阿蘇は典型的な二重式火山で、外輪山の中に浮かぶ中央部の山々は写真左から根子抱け、高岳(最高峰1592m)、中岳、烏帽子岳、杵島岳を阿蘇五岳と呼ぶ。北側の外輪山から望む五岳は、お釈迦様の寝姿に似ていることから、「阿蘇の涅槃像」と呼ばれる。

米塚(阿蘇町)
伝説には、「昔、阿蘇は大飢饉にみまわれ、食べるものもなく、困った人々が飢え死にしたり、草を食べたりしていました。それを阿蘇の神様はかわいそうに思い、手に米をすくい取り、空からふらしたところ、出来上がったのが今の米塚」と言われている。米塚は山頂部に火口を持つ非常に綺麗な円錐形をしており、麓から山頂部まで80mの高さをもつ。米塚の誕生は、阿蘇の火山の中でももっとも新しいうちのひとつで、約1000年前と考えられています。

阿蘇神社(一宮町)
阿蘇開拓の祖と言われる神武天皇の孫、健磐龍命(タテイワタツノミコト)など12神を祀る神社で、紀元前282(孝霊天皇9)年6月、健磐龍命の皇子、速瓶玉命の創建と言われる。肥後の国一の宮で、大正3年には官幣大社となる。社殿は阿蘇式と呼ばれる総欅の白木造りという独特の様式で、楼門は、神社には珍しい二層の屋根を持ち、細部には彫刻がほどこされた美しい外観を持つ。
  
熊本・通潤橋(矢部町)
全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43mの石橋。安政元年(1854)矢部手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕のもとに完成した。人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホンとも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と認められ、昭和35年2月9日に、国の重要文化財にも指定されている。

五老ヶ滝(矢部町)
通潤橋の近くもあり、吊り橋の上から見る滝は見事。落差50mあり、滝壺まで歩いて降りられる。矢部48滝の一つで、周囲は熔結凝灰岩で30m余りの柱状節理をなしている。新緑や紅葉の季節は更に美しさが増す。
宮崎県

高千穂夜神楽(高千穂町)
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に隠れられた折に岩戸の前で天鈿女命(あまのうずめのみこと)が調子面白く舞ったのが始まりと伝えられ、高千穂宮を中心におよそ20もの地区でこの神楽を伝承している。毎年11月の末から翌年2月にかけて各地農村で、三十三番の夜神楽を奉納し、秋の実りに対する感謝と翌年の豊穣を祈願する。
写真は観光客用に毎夜3番だけ演じられる観光用神楽。

高千穂神社(高千穂町)
創建は1900年余り前の垂仁天皇の時代と言われ、上古高千穂皇神を祀り、天慶年間(938〜947)には、高千穂88社の総本山として広く信仰を集めた。境内には樹齢800年の秩父杉や全国的にも珍しい国指定重要文化財の鉄製狛犬が保存されている。また、神楽殿では、毎夜観光用神楽が演じられている。

天岩戸神社西本宮(高千穂町)
天岩戸(アマノイワト)神社は、西本宮と東本宮を合わせていい、御神体は西本宮拝殿(写真奥)の対岸にある「天岩戸」とその御山で本殿はない。この天岩戸は神職の案内で遙拝できる(撮影禁止)。拝殿前の御神木は、天照大神の気を引いた天細女神は、赤い実がたくさん付くこの木の枝を手にして舞ったらしく、神楽で巫女が持つたくさんの鈴の原型になったおがたまの木である。秋になると赤い実を付ける。02年11月訪問。

天岩戸神社東本宮(高千穂町)
西本宮とは川を隔てた対岸にあり、こちらには本殿があり、天照大神を御祭神として祀る。西本宮に比べると、ひっそりとして訪れる方も少ない。社殿裏には渇水することがないという御神水があり、飲水することができる。天岩戸より現れた天照大神は、この地に鎮まるのを願ったという。02年11月訪問。

天ノ安河原(高千穂町)
天岩戸神社西本宮より川沿いに徒歩15分ほど遡った場所にある。天照大神が天岩戸に隠れた時に、八百万の神が集まり神議したのが、この天ノ安河原と言われる。河原の近くには、仰慕窟という間口40m、奥行き30mほどの洞窟があり、本州からでも願い事がかなうといわれ、沢山の石を積み重ねて願事をする慣習がある。

国見ヶ丘(高千穂町)
標高513m、高千穂の市街を見下ろす高台にあり、神武天皇の御孫にあたる建磐龍命(タテイワタツノミコト)が九州統制の折り、この丘に立ち、明け暮れに国見をされたことから、この名が付く。写真は国見ヶ丘に建つ瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の像。また、ここは雲海の名所としても知られ、秋の快晴無風の冷え込んだ朝には高千穂盆地に浮かぶ雲海の向こうより昇る朝日を拝める。

高千穂峡(高千穂町)
高千穂峡(五ヶ瀬渓谷)は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却された浸食谷。上流の窓ノ瀬から下流の吐合間が中心で、1934(昭和34)年11月10日に名勝及び天然記念物に指定された。柱状節理のそそりたつ断崖、岩をかむ激流、千古の謎を秘めた深淵、沸く石清水、多彩な景観を見せてくれる。写真は真名井の滝。

串觸神社(高千穂町)
背後の串觸(クシフル)峰を御神体とし、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を始めとする国譲り神話の神々を祀る。かつては社殿がなかったらしく、1694(元禄7)年に創建された。日本書紀に「築紫日向の久志布流」とあり、天孫降臨の峰として伝えられる。

都井岬灯台(串間市)
都井岬の最南端標高250mの断崖に立つ白亜の灯台。八角形コンクリート造の建築物で、高さ15m。昭和4年12月22日初点灯。見学可。都井岬には「御崎馬」と呼ばれる馬が放牧されており、長野県の木曽馬、北海道の道産子などと共に日本在来馬と言われ、約2000年も前の縄文時代後期から弥生時代中期にかけて中国大陸から導入されたのが起源とされる。ほとんど手を加えない粗放な飼育の仕方から「都井の野生馬」とも呼ばれ、国の天然記念物に指定されている。

トンネルの駅(高千穂町)
旧国鉄時代に宮崎県高千穂町と熊本県高森町まで鉄道で結ぶ計画があり、このトンネルはその路線の一部として建設された葛原トンネルを地元の酒造会社が酒蔵として利用しているもの。見学も可能。常に温度17度前後、湿度70%前後に保たれるトンネルの特性を活かしている。近くに直営の物産館があり、試飲が可能。

宮崎神宮(宮崎市)
祭神は、初代天皇の神武天皇とその父ウガヤユキアエズノミコト、母玉依姫を祀る。東神苑には、樹齢600年以上といわれる特別天然記念物のオオシラフジがあり、4月に見事な花を咲かせる。

青島(宮崎市)
周囲約1.5km、最高6mほどの小さな島。橋で渡れる。周囲は約一千万年前から八百万年前の地層(硬さの違う砂岩と泥岩)が浸食により独特な形状を見せる奇岩に囲まれ、干潮の時には沖合100mにも及ぶ見事な景観は、洗濯板に似ていることから「鬼の洗濯板」と呼ばれている。島には樹齢300年を越えるビロウ樹やハマカズラ等熱帯亜熱帯植物があり、国の特別天然記念物に指定されている。他に青島神社があり、日子穂穂手見命(ヒコホホデミノミコト)等を祀る。日子穂穂手見命は山幸彦として親しまれており、「海幸彦 山幸彦」の神話はここ青島海岸が舞台となっている。
  
かわみなみ電飾大作戦(川南町)
川南町の有志による地域活性化イベントで、商店街の約650mの通りを約15万個の電飾が彩る手造りのイベント。川南町を愛する人を迎える願いを込めた黄色いリボンと暖かい電飾の光が、川南町を訪れる人々に、ホッっとする気持ちのゆとりと広がりを与えればと願い、製作されている。03年1月訪問。

高千穂峰・御池(高原町)
周囲4.3km、最大深度103mの火口湖。高千穂峰の姿を湖面に写し、また、登山口にもなる。周辺には野鳥の森やキャンプ場になっている。
鹿児島県

霧島神宮(霧島町)
祭神は、三種の神器を持って高天原より天孫降臨された瓊瓊杵尊で(ニニギノミコト)、創建は欽明天皇の年代(540年)頃とされている。社殿は初め、高千穂峰とお鉢の間に建設されたが、噴火のため、焼失し、その後、村上天皇の天暦年間に、今の高千穂河原付近に再建したが、再度分暦元年の大噴火で焼失。現在の社殿は1715(正徳5)年に島津藩主の島津吉貴によって建立されたもの。

高千穂河原(霧島町)
霧島神宮は当初、高千穂峰とお鉢の間に建設されたが、噴火により焼失。その後、この地に再建されるが、再度噴火により焼失した。高千穂峰への登山口であり、売店やビジターセンター、キャンプ場がある。

高千穂峰(霧島町)
標高1574mの成層火山(コニーデ)。中腹にお鉢と呼ばれる火口を持つ。今も小規模な火山活動がある。天孫降臨の神話があり、山頂には瓊瓊杵尊が立てたと言われる「天の逆鉾」と呼ばれる剣が立っている。山頂からは天気が良ければ霧島連峰や桜島、遠くは開聞岳も見ることが出来る。火山の為、登山道はガレ場が多く、歩きにくい。下山時などは怪我しやすいので、注意が必要。

丸尾の滝(牧園町)
国道233号線沿いにあり、高さ20m、幅25mの立派な滝。当日は降雪の後だった為、雪とのコントラストが見事な景色を作っていました。

鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)
日本海軍航空隊の歴史や特攻隊員の遺品、海軍使用の砲弾等、写真と実物が展示されている。館外には戦後海上自衛隊で使用された実物の飛行機が展示されている。

諏訪神社(根占町)
全国的にも珍しい並立鳥居がある。

鹿児島宇宙空間観測所(内之浦町)
文部省宇宙科学研究所の付属の研究施設として、科学観測ロケット及び科学衛星の打上げ並びに、それらの追跡及びデータ取得等の業務を行っている。
1962年(昭和37年)以来、KSCでは大小300機を越すロケットと、1970年(昭和45年)にわが国初の人工衛星「おおすみ」以来20個を越す衛星・探査機の打ち上げが行われた。昔、ここに仕事で出張していた人と出会い、熱気球の話など興味深い話を教えていただいた。

原の台場跡(根占町)
海岸に高さ3m、幅4mの花崗岩で築いた石垣が海に面して60mにわたって建築されている。この台場は生麦事件の後、薩英戦争に備え約400人の薩摩軍が急いで拡張構築されたもの。この砲台から実際に砲弾を撃つことはなかった。

佐多岬(佐多町)
本土最南端で岬の断崖から50mほど沖合の大輪島には佐多岬灯台がある。2階建ての展望台があり、晴れていれば、屋久島や種子島、開聞岳を展望することが出来る。また、本土最南端到達証明書を発行してくれる。

神川大滝(大根占町)
大根占町を流れる神川は滝がたくさんあり、神川七滝とも呼ばれ、そのうち最も大きい滝が、この神川大滝。高さ25m、幅35mあり、周辺は公園として整備されている。園内にはサクラやフジなどが植えられ、夏は川でニジマスなど魚釣りが楽しめる。また、日本では珍しいカワゴロモが自生しており、冬には水中に白い花を咲かせる。

桜島(桜島町)
鹿児島市の東方、錦江湾に浮かぶ活火山桜島。姶良カルデラの南縁部に生じた安山岩の成層火山で、北岳(最高峰1117m)・中岳・南岳の3峰と権現山・鍋山などの寄生火山からなる。有史後の山頂噴火は南岳に限られるが、山腹や付近の海底からも噴火している。桜島は当初、東西10km、南北8km、周囲40kmの島だったが、1914(大正3)年の大噴火で山腹から流出した溶岩により大隅半島と陸続きになった。南岳山頂火口より2km以内は立入禁止となっている。桜島という名前の由来には諸説あり、一つは桜島の五社大明神には神話の世界に登場する女神”コノハナサクヤヒメ”が祀っており、最初は「サクヤ島」と呼ばれたのが、「サクラ島」に転訛したという説。また、島の太守だった”桜島忠信”の姓からとったという説もある。

ナベツル(出水市)
現在、世界中のツルの80%が出水平野で越冬するといわれ、10月中旬頃から3月頃まで、この地で越冬する。主にナベツルとマナヅルで、1万前後のツルが確認されている。これだけの数のツルが人家近くで越冬するのは世界でも出水平野だけと言われ、「鹿児島県のツル及びその渡来地」として1952(昭和27)年に国の特別天然記念物に指定されている。これにより、ツル博物館やツル観察センターなどの施設が設けられている。

知覧(知覧町)
薩摩の小京都といわれ、生け垣と石垣が美しい武家屋敷の町並みが今も残る。他の地域の武家屋敷は野石積みが多いが知覧の石垣はきれいな切石整層積みが中心で、石垣の上の見事な生け垣と共に清潔感あふれる風景を作っている。武家屋敷の門を入ると庭園があり、いくつか見物できる屋敷もある。

池田湖(指宿市)
約5500年前の火山活動によって池田火山の陥没により形成されたカルデラ湖。周囲15km、最大深度233mの九州最大の湖。薩摩富士とも呼ばれる開聞岳が望め、湖にはイッシーという幻の生物が棲むと言われている。

枚聞(ヒラキキ)神社(開聞町)
開聞岳北麓にある薩摩一の宮。創建は不明だが、社伝には708(和銅元)年とも伝えられる古社。祭神は、オオヒルメムチノミコト他8柱で、地方開拓の祖神として朝廷の尊崇厚く薩摩藩主島津氏の直領となってからは、さらに航海、交通、漁業の守護神として崇敬される。現在の社殿は1600(慶長5)年に島津義弘氏が再建、のちに改築されたもので、総朱漆塗極彩色の鹿児島地方独特の建物。

西大山駅(山川町)
長崎鼻の手前に位置するJR指宿枕崎線の無人駅。沖縄にモノレールが出来るまでは日本最南端の駅として知られた。今は本土最南端の駅と看板が塗り替えられた。現在の日本最南端は、ゆいレールの赤嶺駅。
沖縄県

沖縄・大東島
大東島は南と北の二つがあり、その海底はツインタワーのようにまっすぐ海底より伸びている。その為、周囲は断崖絶壁で、船が着けられる港がない。荷物の積み下しはクレーンで行う。人間もゴンドラに乗せて下ろされる。更に車もクレーンで吊り上げられ、あげくの果てには船もクレーンで吊り上げられる。ここでは海に係留できないからだ。誕生以来、大陸と陸続きになったことがないという南海の孤島。1900年に開拓使が入った若い島。

海底遺跡(与那国島)
写真ではわかりづらいかも知れないが、真ん中あたりに垂直に切り立った岩が見られる。自然のものとは思えない。海底遺跡はダイビングで見るものと思っていたら、グラスボートでも見れるポイントがあるという。島の南側で、水深3,4mくらい。ここは昔、陸地で人が住んでいたのだろうか?神秘的なスポット。



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