中国・四国の旅

徳島県
 
徳島・ウズカ
400坪という広大な広さを誇る日本最大のミュージアム喫茶。店内のいたる所にヨーロッパアンティーク(約400点)が展示してある。左の写真は、日本最大の宗教画ステンドグラス(1875年イギリス製)で高さ5.3m、幅5.5m。手描きによる宗教画のステンドグラスでは古さも大きさも国内最大級のもの。その他にも200年前に作られた象嵌細工の大型サイドボード等々、19世紀のヨーロッパを思わせる空間です。しかし、飲み物が1000円からとは、高いのか安いのか。。。隣には日本最小のチャペルがあります。

徳島・弁天山
標高6.1m。自然にある山では最も低い山。
源義経が1185(元暦2)年に壇ノ浦へ平家を討ちに行く途中、ここに立寄った伝説があり、その頃この一帯は海であり、弁天山は海中の小島だった。その後室町時代に海水が引き、湿地帯になったが、水田開発が進み、現在に至ると推測されている。
山頂には社がある。

かずら橋(西祖谷山村)
かずら橋とは、高山に自生しているシラクチカズラというかずら(つる)を、極寒の冬場に採取して、火であぶり柔らかくしてから編みながら谷に架ける。現在のかずら橋はワイヤーで補強されているので、簡単に切れる心配はない。祖谷渓には昔、13のかずら橋があったらしく、今は針金吊り橋などに架け替えられ、このかずら橋以外は、東祖谷山村の二重かずら橋のみとなっている。かずら橋の歴史は800年ほど前に遡り、平家の落人が追っ手から逃れるためにすぐに切って落とせるために作った。

鳴門のうず潮(鳴門市)
うず潮は瀬戸内海と紀伊水道の干満時刻の違いにより発生するもので、世界最大級の大きさを誇ります。3月頃大潮の時に最も大きいうず潮が見られ、直径20m・時速20kmにも及ぶそうです。

大鳴門橋(鳴門市)
鳴門のうず潮で有名な鳴門海峡をまたぐ全長1629m、主塔の高さ144mの吊り橋です。橋には高速道の下のスペースを利用した「渦の道」という観光スポットがあり、海上45mを歩いて真上からうず潮が見れる施設があります。強化ガラスにより足下から鳴門海峡を望むことが出来、ちょっとしたスリルを味わえます。

土柱(穴吹町)
約130万年前の地層が長い年月をかけて風雨によって削られ、浸食されていない部分が柱状になって残ったもの。世界的にもアメリカのロッキー山脈やヨーロッパアルプスなどでしか見られない珍しい地形。中でも南北90m、東西50mにわたって巨大な土の群立が見られる波濤ヶ嶽(ハトウガタケ)は高さ13mにも達する大天中など、その景観美から昭和9年5月1日に国の天然記念物に指定された。
香川県

金比羅宮(琴平町)
「こんぴらさん」の愛称で親しまれる金比羅宮は、琴平山(象頭山)の中腹に鎮まり、祭神は大物主神(オオモノヌシノカミ)とともに、相殿に崇徳天皇を祀る。航海の守り神で、参道の石段は御本宮まで785段、奥社まで1368段ある。02年11月訪問。
高知県

桂浜(高知市)
浦戸湾口、竜頭岬の間に、弓状にひろがる海岸で、背後に茂る松の緑と海浜の五色の砂利が紺碧の海にまるで箱庭のように調和する。古来より月の名所として知られ、"月の名所は桂浜"とよさこい節にも唄われている。浜近くは桂浜公園として整備され、坂本龍馬の銅像や闘犬センター、水族館、遊歩道などがある。写真は遊歩道付近より西浜方面を写す。

地球33番地(高知市)
高知市内を流れる江ノ口川のほぼ中央地点は北緯33度33分33秒、東経133度33分33秒にあたり、1962(昭和37)年に高知ロータリークラブが同じ数字が12個も並ぶ珍しい地点としてモニュメントを建立し、「地球33番地」宣言したのが始まり。写真上のシンボル塔が地球33番地地点。モニュメントはシンボル塔より南へ30mの地点にある。

足摺岬(土佐清水市)
四国最南端の地で、標高433mの白皇山を中心とする花崗岩台地が沈降と隆起を繰り返し、長い歳月をかけてできたもの。高さ80mにも及ぶ断崖絶壁が続く。近くには四国霊場88番札所の金剛福寺がある。

四国カルスト(高知県)
秋吉台・平尾台と並ぶカルスト地形。白い石灰岩(カレーン)とすり鉢状の窪み(ドリーネ)が点在し、オモザサやススキの大群落が見られる。五段高原、天狗高原、姫鶴平などから成る。
愛媛県

佐田岬(三崎町)
晴れた日には豊予海峡を挟んで目の前に九州を望む四国最西端の地。大分の佐賀関までは直線距離にして13.5kmしかない。佐田岬半島は日本一細長い半島で約50kmあり、半島の頂上線を貫く国道197号線(佐田岬メロディーライン)は左右両側に瀬戸内海と宇和海が広がり、絶景を望む。

佐田岬灯台(三崎町)
大正7年4月1日初点灯。高さ約18mで、海抜約49mの断崖上にあるコンクリート造りの白亜の灯台。光達距離は約35kmで、対岸の佐賀関からも望める。旧陸軍の要塞があった場所で、今も砲台跡が残る。当時は宿舎や練兵場があり、約300人の兵隊が任務に就いていた。平成5年に無人化になる。

宇和島闘牛(宇和島市)
直径20mの土俵で、体重1tにもなる闘牛が激しくぶつかり合う。その起源は鎌倉時代にも遡るという説があり、享保年間(1716〜36)には本格的な土俵を用い、行われていたという。現在は年5回の定期大会の他、観光闘牛が不定期に行われる。写真も運良く観光闘牛が開催された時のもの。

面河渓(面河村)
石鎚山の南麓にある渓谷で、高さ100m級の断崖が続く。川底まで見える清流、点在する滝、樹海、奇岩など、様々な景色が見られる。桜の名所でもあり、紅葉も素晴らしい景色が望まれる。

松山城(松山市)
松山市街中心部にある標高132mの勝山山頂に加藤嘉明によって26年もの歳月をかけて築城した連立式平山城。加藤嘉明は、賤ヶ岳の合戦で有名な七本槍の一人。桜の名所であり、山麓からは遊歩道の他にロープウェイでも行ける。

湯神社(松山市)
道後温泉本館の南にあり、古くから温泉の湧出が止まるたびにここで湯祈祷が行われた。現在は温泉祭りとして3月下旬に開催されている。祭神は大己貴命と少彦名命の二神。

坊ちゃん列車(松山市)
松山市街と道後温泉を結び明治21年に開業した日本最古の軽便鉄道である伊予鉄道で、第1号機関車を復元したもので、小説「坊ちゃん」では「マッチ箱のような汽車」と記されている。当時は蒸気機関車だったが、今はディーゼルで駆動しており、煙突から煙も出る。

坊ちゃんカラクリ時計(松山市)
道後商店街の入り口にある広場、放生園にあるからくり時計で、毎日8時から21時まで0分に時計がせり上がり、軽快なメロディにのって夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくるキャラクターが登場する。すぐ横には足湯もあり、手軽に道後温泉を楽しめる。
岡山県

岡山自然保護センター(佐伯町)
タンチョウは江戸時代までは日本各地で見られ、岡山県にも飛来した記録が残っており、明治以降は、銃による乱獲と開発に伴う湿原の減少で、またたく間に減少し、一時は絶滅したと思われた。瑞鳥(ズイチョウ)とも言われ、岡山後楽園でおよそ300年前にも10羽ほど飼われていたらしく、後楽園を作った池田綱政が「千代やえん 空飛ぶツルのうちむれて 庭におりいる宿の行くすえ」と詠んだと伝えられる。ここでは、岡山の地でも再びタンチョウが自然環境の中で生息可能か自然との共生を目指し、飼育している。今では数羽が檻から放し、時々近くの農地に飛来している。北海道以外の地でもタンチョウが見られるといいのにと思う。
広島県
  
宮島(宮島町)
593(推古天皇即位元)年、佐伯鞍職による創建と伝えられる。1168(仁安3)年に平清盛が、現在の寝殿造の社殿を造営した。本社を中心に、海へ突き出した平舞台、高舞台、能舞台(以上重要文化財)、客人(マロウド)(国宝)など20棟が、総延長約280mにも及ぶ朱塗りの回廊で結ばれている。左の大鳥居(重要文化財)は四脚造りで、楠の自然木を使った典型的な物で、今の鳥居は8代目明治8年7月完成。総高16m、主柱の高さ13.4m、主柱のまわり9.9m、棟の長さ23.3mで、海面に自然の重みだけで立っている。右の写真の五重塔は、1407(応永14)年の創建で、唐様を基調にして和様の手法を融合させて造られている。本尊は薬師如来だったが、昭和初期に撤去される。厳島神社には、この五重塔をはじめ、千畳閣や多宝塔、大聖院など仏教建造物が並んでおり、仏教との集合と分離の歴史が垣間見られる。

帝釈峡・雄橋(オンバシ)(東城町)
この天然橋は、帝釈川の現在の流路上にあった岸壁で、部分的に地下の石灰岩洞窟であったものが川の水で浸食を続けて、石灰岩の天井の大部分が崩れ落ち、現在の雄橋が形成された。延長約90m、高さ約40m、幅約19m。水面より、橋の裏側まで約18mでアジア最大の自然橋。スイスのプレビシュ北アメリカのロックブリッジと並ぶ日本を代表する天然橋。

原爆ドーム(広島市)
原爆は、1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原爆ドームの南東約150m地点の上空(高さ約580m)で爆発した。この建物は旧広島県産業奨励館で、原爆により大破、全焼し、館内にいた約30人は全員死亡した。1967(昭和42)年に原爆の惨禍を伝えるとともに平和のイメージの原点として永久保存が工事が施され、現在は世界遺産に指定されている。

翁座(上下町)
上下町は江戸時代、天領として代官所が置かれ、石見銀山に通じる石州街道の宿場町として栄えた。その市街の外れにある翁座は、1925(大正14)年に町内の慈善団体などが建設。京都の南座を参考に設計され、1927年のこけら落としには長谷川一夫が公演した。大正時代の面影を残す木造建築物としては県下唯一の建物。戦後は高田浩吉や鶴田浩二も来演し、一時映画も上演した。時代の波に飲み込まれ、1963(昭和38)年に閉館したが、1993(平成5)年に萩本欽一出演のTV番組で紹介され、ボランティアにより、翌年映画の上映で再開。今も土日祝は内部の見学可能。

上下キリスト教会(上下町)
明治時代に当時の財閥角倉家の蔵として建築されたもの。1950(昭和25)年に改装され、上下キリスト教会として利用される。土蔵造りに展望やぐらがあり、その上に十字架が乗る珍しい教会。

音戸大橋(音戸町)
呉市と倉橋島の間にかかる音戸大橋は、幅約90mの音戸ノ瀬戸にかかるアーチ型・螺旋型高架橋で、長さ172m、高さ23.5mあり、1961(昭和36)年完成した。この音戸ノ瀬戸は平清盛が切り開いたと言われ、橋の近くには清盛塚がある。呉市側の音戸の瀬戸公園はツツジの名所で、春には一斉に咲き誇る。

洋式ドック(倉橋町)
倉橋町は昔から木造船が盛んで、内海の造船基地として大きな役割を果たした。徳川時代の御座船も諸藩より数多く御用を受け、厳島神社の管弦船も奉納された。日本最古の西洋式ドック跡。02年11月訪問。

万葉の松原(倉橋町)
日本の白砂青松100選に選ばれ、万葉集にも歌われた景勝地。今もその歌碑が桂浜に建てられている。
鳥取県
  
水木しげるロード(境港市)
境港市は漫画家・水木しげる氏のふるさとで、境港駅から商店街まで続く道を水木しげるロードといい、約800mの間に86体の妖怪たちのブロンズ像が出迎えてくれる。妖怪は水木しげる氏の漫画に出てくる妖怪達で、中には妖怪ポストもある。

三徳山三佛寺(三朝町)
三徳山(ミトクサン)は標高900mの山で、その麓から山腹まで広がる古刹、三佛寺は天台宗に属し、山岳仏教の霊場として平安から鎌倉時代に栄華を極め、今も多くの山岳寺院建築が残っている。706(慶雲3)年役行者が修験場として開き、849(嘉祥2)年に天台座主の慈覚大師円仁が三佛寺を建て、釈迦・弥陀・大日の三佛を安置したという。標高470mにある投入堂(ナゲイレドウ)は、断崖絶壁にはめ込まれたように建てられた平安時代の古建築・懸造(カケヅクリ、舞台造)で、本尊の木造蔵王権現立像と木造十一面観音立像など八体が国の重要文化財に指定されている。03年5月訪問。

二十世紀梨記念館
日本で唯一、梨をテーマにしたミュージアムで、館内には約4000個の梨を実らせた日本最大級の二十世紀梨の巨木を保存、鑑賞できる。昭和初期の梨農家を再現した劇場では、二十世紀梨を一大産地に育てた鳥取の歴史を紹介。他にも世界の梨の紹介コーナーやアジア梨のルーツを探求するハイビジョンシアターなどがある。03年5月訪問。

大神山神社奥宮(大山町)
大神山(オオガミヤマ)とは大山の古名で、祭神は大己貴命で、これは大国主命の若い時の名前。社殿は見事な権現造りで、屋根の規模は日本一を誇る。神仏混交の様式を伝えており、正面の長廊は両翼50mある。奥宮な大山山腹にあり、冬の時期は参拝が難しいため、江戸時代に麓に本社が作られた。1796年に火災で焼失し、1805年に復興した江戸末期の建造物。03年5月訪問。

大山寺(大山町)
創建時は不明だが、奈良時代と言われ、平安時代には慈覚大師が尊崇しており、高野山や比叡山と肩を並べる大寺で、最盛期には100を越える寺院があったと言われている。しかし、江戸時代には衰退を見せ、明治時代の神仏分離により一気に衰退し、現在の大神山神社奥宮、下山神社、大山寺本堂、阿弥陀堂を残すのみとなった。大山寺から大神山神社奥宮へ続く参道は、自然石の参道としては日本一の長さを誇る。03年5月訪問。

鳥取砂丘(鳥取市)
南北2.4km、東西16km、最大高低差90m。日本最大規模を誇る砂丘。その形成は10万年前、中国山地から流れ出た千代川が運ぶ砂と日本海の沿岸流が運んだ砂が風と波の力によって集まり、少しずつ、遙か遠い時間をかけて堆積して出来上がった大砂丘です。03年5月訪問。
島根県

関の五本松(美保関町)
藩政時代に美保関と松江を結んだ松江街道は美保関近くで海を見下ろす尾根上を通る。その街道沿いにあった景勝地で港に出入りする船や日本海を行き交う船の目印だった。ある時、松江城主が眺望の邪魔と1本を伐採してしまう。現在は三代目の五本松が付近に立つ。

出雲大社(出雲市)
祭神を大国主命とする出雲地方を代表する大社です。本殿の高さは24mあり、国宝に指定されている。古代は高さ48mあったらしく、「雲太、和二、京三」と謡われ、出雲が一番大きいと言われていた。二番目は奈良の東大寺で、三番目は京都の大極殿。平成11年9月から実施された発掘調査で巨大な柱が発見され、これは3本の柱を束ねたものと推定され、古代の出雲大社が巨大なものであったことが実証された。出雲大社のお詣りの仕方は他社とは違い、二礼四拍一礼となっている。

津和野(津和野町)
山陰の小京都と呼ばれる城下町。堀を泳ぐ鯉や白壁やなまこ壁が続く武家屋敷が風情ある街並みを漂わせている。文豪、森鴎外の出身地でもあり、記念館もある。
山口県

錦帯橋(岩国市)
1673(延宝元)年、吉川広嘉によって架けられた木造五連のアーチ橋。長さ193.3m、幅5mで木組みの技法を駆使して造られている。初代の橋は1674(延宝2)年5月28日の大洪水で流失。その後5ヶ月を要して二代目の橋が完成し、276年もの長きに亘って市民に愛され、風雪に耐え抜いたが、1950年9月14日に台風の影響で洪水が発生し、あえなく流失される。現在まで続く三代目の橋は、流失の翌年から工事が始められ、2年の歳月を費やし、1953年1月15日に渡り初めが行われた。その後、2001(平成13)年から始まった架け替え工事は3年後に完成し、平成16年3月20日に渡り初めが行われた。00年2月訪問。

角島大橋(豊北町)
海土ヶ瀬戸に架かる全長2080mの橋で、角島と本土の間を結ぶ。2000(平成12)年11月開通。豊かな自然が残る角島は、海水浴やキャンプ、磯釣りが楽しめる。橋のたもとの砂浜も白砂の美しい海浜で、日本海の澄んだ青い海を望むことが出来る。離島に架かる通行料無料の橋としては日本最長だとか。

秋芳洞(秋芳町)
秋吉台の地下100m、その南麓に開口する東洋一の鍾乳洞で、大正15年昭和天皇が皇太子の御時、この地を御探勝になり、この名前を付けた。総延長は約10kmあり、そのうち観光できるのは約1km。洞内はたくさんの神秘的な自然の造形美を魅せてくれる。秋吉台ともエレベーターでつながり、直接秋吉台の展望台に出ることが出来る。

秋吉台(秋芳町)
遙か3億年前は海だったと言われる日本一広大なカルスト(石灰岩)台地。東西17km、南北8kmにも及び、春は一面の新緑、秋は銀色のススキ群の中にリンドウなどの野草が揺れるのを楽しめる。また、毎年2月の下旬には山焼きが行われ、その炎は高さ5m以上に達する。

松陰神社(萩市)
1890(明治23)年、松陰の没後31年経ってから建立された神社で、本殿は1955(昭和30)年に建てられた。敷地内には松下村塾や松陰幽囚の旧宅、花月楼が保存されており、吉田松陰歴史館などがある。祭神は、吉田松陰。

松下村塾(萩市)
吉田松陰は、1830(天保元)年8月4日長州藩(現山口県)萩松本村で毛利藩士の杉百合之助常道の次男として生まれる。松陰はその後他家を継いで吉田姓となる。松陰は嘉永7年に海外渡航を計画した罪で投獄される。安政元年12月には萩に戻され、野山獄に投獄されるが、翌年杉家で幽囚(敷地から出ることを禁じられていた)となり、松下村塾を開く。その門下生には高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)・伊藤俊輔(博文)・久坂玄瑞などがいる。

萩城跡(萩市)
萩市街の西北隅にあたる指月山の麓にあり、別名指月城とも呼ばれた平山城で、本丸・二の丸・三の丸及び指月山頂に要害があった。萩城は、毛利輝元が1608(慶長13)年に築城。以後13代続いたが、1863(文久3)年4月に藩府を山口に移し、1874(明治7)年にはすべてが解体され、石垣と堀の一部を残すのみとなった。

笠山(萩市)
日本一低い火山で、標高112m。玄武岩台地に直径30m、深さ30mの小噴火口を持つ火山丘が乗った複合型の休火山。山麓には幾つかの風穴があり、盛夏でも13度以下と涼しい。暖地性と寒地性の植物が混交し、学術上も価値が高い。北麓には樹齢100年と言われるコウライタチバナが自生し、わが国唯一の自生地として天然記念物に指定されている。噴火口にも遊歩道が付いており、中に入ることが出来る。

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